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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1977-03-26 第80回国会 参議院 予算委員会 第6号

○国務大臣(福田赳夫君) 私は、昭和七、八年ごろの時局匡救事業あのことは承知しておりますが、あれは要するに公共事業なんです。今日私どもが御審議願っておる五十二年度のこの公共事業なんというのは、あの時局匡救事業なんかに比べると、それはもうとてもとても比較にならないくらいな大規模のものです。

福田赳夫

1954-05-27 第19回国会 衆議院 地方行政委員会農林委員会水産委員会建設委員会連合審査会 第1号

なおまた昭和二十七年の匡救事業について、大島に配分されました費用が本土に流されたということを承つたのでありますが、これにつきましては私よく事情を承知いたしておりませんが、今度の場合は特にそういう点も十分に考慮いたしまして、現在の自治団体あり方等についてもよく事情考えまして、この法律には、土木公共事業等につきましては国費支弁といたしまして、これは鹿児島県の財政を通らないでやらせるということで、体系

保岡武久

1953-10-23 第16回国会 参議院 農林委員会 閉会後第10号

むしろ昭和の初め頃やられたような時局匡救事業ですか、ああいうような形で以て凶作地帯にはやはりやらせるべきだ、急速にやらせるのだというような態勢をとられる必要があるのじやないか。従つて農林省のほうは統計調査部もおありなんだし、先ほど局長の御説明のように小規模土地改良程度のものならば、全国至るところの農村に行つて事業がなくて困るというようなことは恐らくないのじやないか。

宮本邦彦

1953-10-19 第16回国会 参議院 地方行政委員会 閉会後第7号

それは合せてその地元の匡赦事業的な性格を帯びるものと考えられるわけでありまして、これを至急にやつて頂き、完全にその地域に対する匡救事業的な性格を帯びさして頂きますならば、生活援護その他でいずれ御面倒をみてもらえる経費を償つて余りある関係もありますので、その点についての御配慮を願いましたならば誠に仕合せと存ずるような次第であります。  

宇野誠一

1950-04-11 第7回国会 衆議院 水産委員会 第30号

そこで当時政府は、国の匡救事業といたしまして、低利資金を出して、そうして津浪によつて一挙に流失、破壞されましたところの代船の建造を行つたことがあります。ところが、その当時からすでに十数年を経過いたしまして、今日三陸沿岸の船の船齢は、全部老朽の域に達しておるのであります。これは他の府県には全然見られない特殊な状況であります。

鈴木善幸

1949-05-23 第5回国会 参議院 内閣・人事連合委員会 第5号

そういうことにおやりになる考えは大体なかろうと思うのですが、次に、知識階級匡救事業としての御計画はいろいろありますが、そういうところには、これは優先的におやりになる考えがあるのかどうか。全体の失業救濟費というものについては、本年度予算に計上されておる額以上に、一体どこの財源からどのくらいのものがこれに振当てられるかというような、大まかな一つ予想ですね。

木下源吾

1948-06-29 第2回国会 衆議院 水産委員会 第23号

坂本委員 本請願の要旨は、佐賀縣西松浦伊萬里漁港昭和十年時局匡救事業として完成したが、その後資材不足のため補強修理をせず、港内は土砂に埋沒され、岸壁船波で破損し、防波堤は沈下してその用をなさない、ついては昭和二十三年度予算を以て速やかに本漁港補強修理並びに浚渫等を施行されたいというのであります。

坂本實

1947-12-05 第1回国会 衆議院 国土計画委員会 第33号

それを豫算がたとえどうあろうとも、やむを得ずかつて匡救事業のようなものを起して救濟せねばならない時期がくるのではないか、失業保險法とかいろいろな法律をつくりましても、こういう復興院關係と言うか、國土建設關係によつてこれを救濟せねばならぬ’時期がくるのではないかということをお尋ねするのでありまして、いやそれはそういうふうに失業者が増えたならば、こういう方面に著手するのだというお考えがありますならば、

村瀬宣親

1947-11-19 第1回国会 衆議院 水産委員会 第25号

濱漁港福井縣若狭灣に臨み、昭和三年内務省直轄施行にかかる南川、北川改修工事の實施せられた機會に、舊南川廢川地域を利用して漁港とすべく、時局匡救事業をもつて、小濱橋下流兩岸の一部を埋立て、その全面に水面幅八〇メートルを有する繋船岸壁を築き、港内水面積二七、九四一平方メートル、水深二、五メートルに浚渫をなし、發動機漁船の碇泊に便ならしむる計畫のもとに、昭和七年十一月著手し、昭和九年七月完成いたしたものであります

青木清左ヱ門

1947-08-22 第1回国会 衆議院 水産委員会 第12号

それで昭和七年時局匡救事業といたしまして、漁港設備事業縣及び農林省の指定するところとなつて、工費十二萬圓をもつて、縣營により昭和七、八年度の繼續事業として工を起しまして、昭和九年度に一應工事の竣成を見たのでありますけれども、その際におきましてなお大々的の計畫をもつて、從來の防波堤の沖合に受波止と言いますか、新防波堤の計畫を立てておつたのであります。

西村久之

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